愚葉土

腐った葉っぱは肥料になるけど、愚かな言葉は何にもならぬ

この記事が雑多

ブログ書かないと自我が曖昧になってしまう……。

雑多なものが好きなんですよ。いやもっと的確な表現がありそうな気がするんですが、ひとまずこれで。小学校のとき図工の授業か何かで「オリジナルひみつ道具を考えよう」という課題がありました。いま考えると少し攻めたテーマでしたね。とまれ、この授業で皆の道具を見るのがとても楽しかったんです。「このような欲の形があるのか」と広い知見を得ました。(小学生らしく「何でも願いを叶えるスター」とか提出してたやつはぶん殴ろうかと思った)

トイザらスのクリスマスシーズンも好きだし、世の中のあらゆるカタログが好きです。IKEAのカタログ、いいね。でも結婚式の引き出物のカタログが最高かな。なぜなら肉もアロマも雑多に載っているから。

学生時代のサークルが好きでした。自分が所属していた団体はもちろんですが、大学構内にはびこるすべてのサークルが良かった。すべて何らかのニッチさの集合体だったからですね。自分がまったく興味ない題材に30人あまりの好事家が集まっているとそれだけで興奮しました。そしてさまざまな偏愛が何百と存在している状態、最高。自分が没入していなくとも、あらゆる愛が混在しているのを俯瞰するのがワクワクしました。

デザインフェスタは雑多の頂点ですね。理想オブ理想。何千ってひとの尖ったフェチが同じ空間に陳列してあるのが楽しすぎる。高校生のときはデザインフェスタの事務所に就職したいと本気で思っていました。また近いうちに開催できるといいですね。

そして今は、インディーゲームを見て回るのが好きです。同じゲームという枠組みの中ではあるけど、これもまた先鋭化した欲や偏愛を詰め込んだ媒体ですね。Steamは雑多。itch.ioはもっと雑多。他人が他人の作品を「最高〜!」って言ってると、worldisbeautifulと思います。

ここに挙げた例がすべて同じフェチズムかどうかもまあ怪しいですが、「雑多なものが好き」といっても伝わりづらいので解像度の高い言い回しが欲しいと思っています。もっといえば雑多な愛が好き。